白昼の凶弾が選挙演説会場を襲う、一か月ほど前。都内某所の江島めぐみ事務所―「…こちらの写真と報告書を見てください。全国の《《ケンゾク》》から送られてきたものです」江島めぐみ本人と、スリーピースのスーツ姿の秘書・|梅ケ谷《うめがたに》|知《さとる》が密談している。「ここ半年余りで3人の政治家や実業家が遠距離狙撃により暗殺されています。なぜか全く報道されていませんが」梅ケ谷が机に並べて見せた3種類のA4サイズの報告書には、それぞれ表紙に1枚ずつ写真がクリップで留められており、その全てに、頭部から血を流した死体の|生々《なまなま》しい姿が収められている。「裏社会では“死神”と呼ばれているスナイパーだそうです。年齢・性別一切不明。分かっているのは側頭部を正確に一度の射撃で打ち抜くという殺し方だけ…今までの失敗はゼロ、一度の射撃で命中率100%。もはや凄腕とかいうレベルではなく、|人間業《にんげんわざ》ではありません」「、ってことは…」「はい。間違いなく、我々と同じような《《力》》を持った者の犯行です」「うわ~ぉ」「なーにノンキな声を出してるんですか。殺された3人は、全員が海外資本の日本進出に邪魔になった人物です。今後、江島先生も狙ってくる可能性は非常に高いです。ましてや先生は、これから選挙演説で開けたところに立つ機会が多くなる。向こうにとっては絶好の|的《まと》ですよ」「そんなこと言われたってねぇ… また、あなたが助けてくれるんでしょ?梅ケ谷君」「まったくこの人は、どこまで緊張感がないんだ…」梅ケ谷は目をつぶって片手で顔の半分を覆った。「…いいですか、狙撃された3人は全員、一度の射撃で銃弾が側頭部に正確に命中したのち、貫通することなく脳内に|留《とど》まっているんです」「…どゆこと?」「まだ分かりませんか(この人ホントに日本を代表する国会議員か?)。十中八九間違いなく、銃弾の動きを思い通りに制御できる人物の仕業です」「どっひゃー」「だとすれば、|弾《たま》を|避《よ》けたり私が覆いかぶさって先生を守ったとしても、意味がない可能性が高いです。銃弾は先生の脳に刺さるまで止まらないんですから」「ちょっと待ってよ。私、確実に死んじゃうじゃない」「今のところ、銃弾が《《命中する瞬間に》》叩き落して、物理的に弾を他の物体にめり込ませて慣性をゼロに
パシイィイン!頭を低くしていた江島めぐみの横に突然瞬間移動のように現れた|優男《やさおとこ》は、空中で横向きになったまま、乾いた音を立ててライフルの弾丸を素手でキャッチした。素手と言ってもその手は人間のものではない。全体の形状こそ人間の手に近いが、爬虫類のような硬い|鱗《うろこ》に覆われ、先端には猛禽類のように大きく鋭い爪が付いている。(龍の手…?)江島めぐみは今目の前に突如現れた優男の、特徴的な右手を見て思った。「ひとつ貸しじゃなあ!|女子《おなご》先生よ」優男もとい凛太郎は、見た目と相反する老人のような口調で言うと、弾丸の勢いを殺そうとするかのように回転しながら一瞬めぐみの方を向いた。よく見ると瞳も爬虫類のように、縦長の瞳に緑色の虹彩をしており、口元からは牙がのぞいている。「さて、返品じゃ」優男は、銃弾を受け止めた勢いで腕が後方に持っていかれた反動を利用して、腕と体をグルンと回転させると、そのまますさまじい速度でその銃弾を、撃ったスナイパーの方向へ投げ返した(野球の内野手守備の、異次元レベルの動きだと思っていただきたい)。人間の力では決して不可能な速度で投げ返された銃弾は、ビシッ!という鈍い音をたてて、スナイパーのいる数百メートル離れた屋上の壁にめり込み、大きなヒビを入れた。「ありゃ、外したかの」九頭龍となった凛太郎は|掌《てのひら》を目の上にかざして言った。一方、ビルの上のスナイパーは思わずヘタンと尻もちをついてしまった。(ターゲットBか… 化け物め‼)スナイパーはできうる限りの早さでライフルをケースにしまうと、屋上から逃げていった。と、その光景をまた上空から大ガラスが見ている。「先生!おそらくもう大丈夫です。車の中に!」「う、うん…」選挙カー上にうずくまっていた江島めぐみの体を助け起こし、まだ人心地の付かない江島候補を車の中に押し込んだ梅ケ谷は転がっていた防弾ブリーフケースを拾うと、|安堵《あんど》のため息をついた。「…ふう。さすが三田村装備開発の最高級防弾仕様。ドイツ製と迷いましたが、こういうのは国産の特注品が断然安心ですね」だが、まだ安心するには早かった。「|知《さとる》君!大変…‼」たった今、命を救われたばかりの江島めぐみが、慌てた様子でカーウィンドウを下げて顔を覗かせると、金切り声をあげた。「?」梅ケ谷が不思
「その少年は、私どもが責任をもって病院までエスコートいたします。我々のお車へどうぞ。完全防弾仕様です」一行は選挙カーではなく公用車に乗り変えた。梅ケ谷が運転し、助手席には江島めぐみ。後部座席には七海、凛太郎と、凛太郎の右手が胸部に刺さったままの光が乗っている。「改めまして、隣におります江島めぐみの公設秘書をしております梅ケ谷と申します。この度はお礼と、それからお詫びのしようもありません」「そんなに畏まるな。儂とおぬしの仲ではないか」九頭龍凛太郎が言うが、その右手は光の胸につき刺さったまま、光の心臓を直接つかんで絶えずマッサージしている。「ちょっと、知り合いだったの?」七海が慌て尋ねる。「腐れ縁というやつでな。そちらの江島センセとやらとは、はじめましてじゃの」「はい、その… なんとお礼をしたらいいか」助手席にいるめぐみが、わざわざ後部座席の凛太郎たちの方を向いて、ペコリと頭を下げる。「おい、光。聞いたか?お礼に何でも一つ望みをかなえてくれるそうじゃ」「ホント…?」「そこまでは言ってないでしょーが…」七海がツッコむ。「それじゃあ、命を助けた儂へのお礼で一つ、流れ弾を食らって死にかけたこの|童《わっぱ》への詫びでもう一つ、願いをきいてもらおうかの」「我々にできることなら、何なりと」(この様子だと、この阿賀川七海という女性は、《《九頭龍》》と知り合いのようだ)運転をしながら梅ケ谷が答える。「光、何がいい?やっぱり本かしら」七海が問いかける。「うーん、そうだなぁ… レミに会ってサインが欲しい」「レミって、あの病室に貼ってあるポスターの…よっぽどレミって歌手が好きなのね。そんなに曲がいいの?」「それもあるんだけど… レミは、僕とおんなじ施設の出身で、これから曲が売れたら施設に寄付していきたいんだって」「ほう。光は養子か」「あ、ゴメン。言ってなかったね」「まぁ、一つ目はこれで決まりじゃな。次は儂の番じゃ」九頭龍凛太郎は、少し間を置いて言った。「おぬしら二人、国の政治に深く関わっておるのじゃろ?…これからは儂が、この国の財布を握ろうと思うんじゃ」♦ ♦ ♦株式会社ギャラクティカ。 総務係兼受付嬢の|小畔《こあぜ》美樹子が、まじめに業務に取り組んでいるフリをしながら会社のPC画面でネットニュースをチェックしていると、「ル
ギャラクティカ本社での凛太郎たちと梅ケ谷の商談からまもなく、各種新聞やネットは、「与党、国家公認の電子決済アプリをスタート」のニュースで持ち切りとなった。「政府による電子決済、是か非か」といった類の討論番組が地上波でもネット番組でも盛んに組まれ、そのほぼすべてに与党公認の旗振り役として江島めぐみが出演した。彼女は東京都知事選には結局僅差で現職の尾池百合絵に敗れ、参議院議員の肩書まで失ってしまったが、落胆するそぶりどころか選挙疲れの色もまったく見せることはなかった。江島めぐみが番組内でのカリスマ性あふれるプレゼンをぶちかます度に、番組のパネラー、観客、視聴者たちは、心を奪われていった。「政界のアイドル」の面目躍如である。見る人が見れば、画面に映るめぐみの背後に、天女のごときオーラを感じたことだろう。「沈みゆく日本経済が、昇り龍のように復活していくようにとの願いをこめて、“りゅーペイ”と名付けました。 仕組みは先行する電子決済サービスであるPpay(ピーペイ)と同じです。法的には『前払い式支払い手段』と呼ばれるもので、日本円でチャージして1円を1ポイントとして使えます… これを毎月、アプリをダウンロードしてくださった国民全員に10万ポイント、つまり10万円分給付いたします。ベーシックインカムのようなものだと思ってください。 …ただし、過度なインフレを防ぐ意味でもこの10万ポイントは有効期限が設けてあり、3か月で失効します。3か月で30万円を使い切ってください…」 ――以下が、その後の新聞や各ネットニュースの見出しの一例である。『政府の公式電子決済 “りゅーペイ” 、全国で流通開始か』『野党は「経済の混乱招く」と反対を継続か』『アプリDL者全員に10万円給付、謎の財源と増税の恐れ』……♦ ♦ ♦ 凛太郎が居候している七海のマンション。リビングでは九頭龍凛太郎がテレビを見るともなしに眺めながらくつろいでいる。凛太郎は、ギャラクティカでの業務終了後、気が付くと九頭龍にチェンジしていることが多い。会社の仕事中は基本的に凛太郎の人格だが、凛太郎が見聞きした内容は九頭龍にも共有されるシステムになっているようだ。逆に九頭龍の|人格《龍格?》が出てきているときはどうかと言うと、最初は凛太郎本人いわく「眠っている感覚」で、その間のことは覚えていなかったそうだ。最
某日13時、東京都庁。白いコートに身を包んだ人物が、警護役であろう屈強そうな職員のエスコートを受けて、都庁最深部の知事執務室に通される。フードを|目深《まぶか》に被った顔は、依然としてよく見えない。「時間ピッタリですね… 都庁へようこそ。直接お会いするのは初めてですね」猛追する江島めぐみ候補を振り切り二期目への当選を果たした|尾池百合絵《おいけゆりえ》都知事が、執務室最奥のデスクから形ばかりの歓迎の挨拶をする。「死神さん、とお呼びすればいいのかしら?」書類仕事をつづけながら、目も来訪者の方を向けようとしない。「…」白コートの来訪者は無言のままである。尾池は続ける。「《《先生》》とケイトさんから、成功率100%の腕前だって聞いていたので、安心してお任せしたのですけど。私の聞き間違いだったのかしら」「…」「新宿駅の演説の後でも、いくらでも仕留めるチャンスはあったはずでしょ?あの女が世界の調和にとって邪魔になることは分かっているはず… 組織票で勝てたからよかったものの、とっても肝が冷えましたわ」「…」「だんまりですか。あまりおしゃべりはお好きでないようね。いいわ。どのみち約束は成功報酬のはずです。お支払いするお金はありませんので。お引き取り下さい」『死神』と呼ばれた白コートの人物は、ついに一言も発しないまま執務室を後にした。(ケイトのやつ…)成功報酬だという話は、今日初めて聞いた。♦ ♦ ♦同じ日の正午。「…と、いうわけで、今回は心臓の病気と闘う、同じ孤児院の後輩・|光《ひかる》君との、2回目の動画でした~。またね!…はい、カット!ありがと、光君!」新宿総合病院の|阿賀川光《あかがわひかる》の病室で、18歳くらいの白人の女の子が美しい金髪をなびかせながら、自分で構えたスマホカメラに向かって手を振る。ネットで人気上昇中の歌い手・レミが、光への2回目の見舞いに訪れていたのだ。病室で動画撮影とは怪しからん、との声もあろうが、担当医の|乗本《のりもと》が理解があり、「拡張型心筋症と闘う子どもたちの情報拡散になりますし、光君の気晴らしにもなるでしょうから」とのことで、短時間の動画撮影はOKが出ている。それにしても、光とレミは随分と仲良く話すようになった。恐るべきは光の人たらしの力である。「こっちこそありがとう。えへへ、なんか夢みたいだなー
『ちちぶ子ども未来園』は、埼玉県の秩父地方の山間部にあるキリスト教系の孤児院である。シスターの|志良堂美洸《しらどうみひろ》が、たくさんの子供たちと食卓を囲んで、食前のお祈りをしている。「おお、神よ。私たちをいつも見守り、導いて下さることに感謝します。この食事が神のための善を行う力となりますように。アーメン…」|美洸《みひろ》シスターは祈りの言葉を言い終わると、少し間をおいて「パンッ!」と乾いた音を立てて勢いよく合掌をした。「はーい、堅いお祈りは終わり。今日は裏の山でとれたイノシシの焼肉と猪汁《ししじる》よ。みんな、たくさん食べてねー♡」「やったー!!」年齢も性別も違う孤児たちが、一斉に猛烈な勢いで目の前に盛られた食事に飛びつく。キリスト教系の施設には“|清貧《せいひん》”といって、必要以上に贅沢を望まない考え方がある。だがこの『ちちぶ子ども未来園』は、「他の家庭を|羨《うらや》むことがないように」という美洸シスターの思いで、毎回栄養のバランスを考えつつ最大限豪華に、というのが食事の基本方針となっていた。「焦らなくても、お代わりは沢山ありますからねー。それはそうと…美洸シスターは、ふと窓の外に目をやる。「今日はもしかしたら、嬉しい再会があるかも知れない予感がするのよねー♡」♦ ♦ ♦ 光の入院している新宿総合病院を出た九頭龍凛太郎と七海の二人は、13時過ぎに新宿駅発のバスに乗り、2時間以上揺られて秩父にやってきた。見渡す限り山、山、山で、緑が目に|沁《し》みる。普段吸い慣れている新宿の空気とは別物のように美味しい空気だが、それを有難いと感じる体力の余裕が、七海には無くなってきていた。|顎《あご》が上がり、額には大粒の汗がにじんでいる。「ハァー… まったく、どんだけ歩くのよ。降りたところ、ホントに最寄りのバス停?」「いっつもパソコンと睨めっこばかりしておるから体が弱るんじゃ。昔の日本人なら新宿からここまで|徒歩《かち》で来ておるわい」一方の凛太郎は汗一つかいていない。今日は朝から九頭龍の人格だからなのだろうが…「あなた、そのペースだと明日凛太郎君に戻った時に筋肉痛で泣くわよ」「フン、知ったことか」そうこうしているうちに、やっと秩父の奥地にある目的の施設の建物が見えてきた。質素な門には、長年雨風に|晒《さら》されたであろう「ちちぶ子ども
「志良堂《しらどう》レミッキ。日本での歌手としての活動名は、レミですね」「うぎゃー‼」当然一人で茂みに隠れているものと思い込んでいた突然横から梅ケ谷知《さとる》に声を掛けられ、思わず叫び声を上げてしまった。よく見ると、梅ケ谷は両手に木の枝の模型を持っている。茂みの一部に紛れているつもりらしい。(擬態…? この人こんなキャラだったのかしら)「Lemmikki(レミッキ、またはレンミッキ)という名前からおそらくフィンランド生まれ。戸籍上は、キリスト教系の孤児院、ちちぶ子ども未来園の園長・志良堂|美洸《みひろ》の養子ということになっています。高校卒業後、18歳で上京。ネットを中心に歌手活動を開始、今に至るわけですが、まさか裏社会で『死神』と呼ばれるスナイパーの正体が彼女だったとは…」「あ、あの~ 梅ケ谷さん、どうしてここに?秘書業務は大丈夫なので…?」「ご心配なく。今日の分の仕事はとっくに終わらせてありますので。あの龍は放っておくと何をしでかすか分かりませんから、心配で付いてきました」「はあ…」「そんなことより、始まりますよ。九頭龍の久しぶりの戦いが」「…」そう言う梅ケ谷の表情から読み取れたわけでも、声の調子からそう感じられたわけでもない。だが、七海には何となく感じるところがあった。(なんだか嬉しそうね、梅ケ谷さん)♦さて、七海と梅ケ谷の視線の先で。「…もう、遠慮なくいくわよ」レミッキはスナイパーライフルを構え直した。「おう、レミとか言うたの。いざ尋常に…」パァン!九頭龍凛太郎が言い終わる前に、レミッキは銃弾を放つ。 が、それはトカゲのような鱗で覆われ鋭い爪のある形へと一瞬のうちに変貌した、凛太郎の手によって難なくキャッチされてしまった。江島めぐみ狙撃(二撃目)の時と全く同じである。「まーったく、せっかく武士道をわきまえた女子《おなご》じゃと思うとったのに。南蛮にも騎士道精神というのがあるんじゃろが…」言いながら、九頭龍は掴《つか》んだ銃弾をポイッと投げ捨てた。「儂には銃なんぞ効かんぞ。諦《あきら》めて降参せい」「やっぱり、そうよね… こちらも時間があったからね。対策させてもらったわ」ちょうど弾を撃ち終わったレミッキは、ジャキンという音を立てて弾倉《マガジン》を交換すると、ガチャリとハンドルを引いてから再び戻した。パァ
七海と梅ケ谷が見守る中、凛太郎は、上空から襲い来る無数の銃弾に次々と体を貫かれていく。体はひび割れ、ボロボロと崩れていく。ついに顔までが崩れ、粉々になった体から切り離された頭部が地面に落下する。「嘘… そんな、嘘よ…」九頭龍凛太郎の頭がスローモーションでゆっくりと地面に落ちていき、地面に到達して「パリン」と砕け散る、その一瞬前に、七海は凛太郎がニヤッと笑ったような気がした。…真っ暗な闇の中。ここは現世《うつしよ》と同時に存在すれども交わらない霊界か、はたまた九頭龍の精神世界か。紫色の目とたてがみをした巨大な龍が、暗闇の中で凛太郎と同じ声色で話す。「|五ツ陽《いつはる》。おるか?」「へーーい」…その瞬間。現実世界では、七海たちがいる現実世界では、たった今崩れて首が落ちたはずの凛太郎が、いつの間にか無傷でうずくまっている。ただ、その髪の毛は凛太郎の時の焦げ茶色でも、九頭龍の時の濃い紫色でもない。ダークブロンドというのか、アッシュゴールドと言えばいいのか、独特の風合いをした暗めの金髪である。「ま、ここはオレの出番っスよねー」アッシュゴールドの髪の凛太郎がつぶやく。普段の凛太郎とも、いつもの九頭龍凛太郎とも違う、垂れ目でどことなくアンニュイな表情をしている。(フン、いつもいつも眠そうな顔しおって)虚空から、普段の九頭龍の声が聞こえた、気がした。「|五ツ陽《イツハル》さんですか。私も見るのは久しぶりですね」「久しぶりですね、って言われたって…」『五ツ陽』と呼ばれた暗い金色の髪をした凛太郎は、いつもの老人のような口調とは違うしゃべり方でレミッキに話しかけた。「おーい、そこの外人の嬢ちゃん。早いとこ降参しなよ。俺が出てきたから、君に勝ち目はねーっスよ」「何を馬鹿な…」レミッキは内心、驚いていた。先ほど自分のサブマシンガンから放たれた銀の弾丸の嵐により、ボロボロに崩壊したと思ったターゲットが、髪の色を変えて何事もなかったかのように甦《よみがえ》ってきたのだから当然である。が、何とか平静を装いながらガチャッという音を立てて弾倉《マガジン》を新しいものに交換した。「何度でも葬《ほうむ》るだけよ」ドガガガガガガガガ再びの轟音とともに、今度は曲げた右腕で銃身を掲げ、レミッキは銃弾を上空に発射する。その弾たちは、またも空高くから一斉に、バラバラの軌道を
炎のような光のような二体の狼のうち、吽形《うんぎょう》だった方は「グルル…」と低いうなり声を上げた。阿形《あぎょう》だったもう一体は「ウオーーーーン!!」と大きく吠えた。空気がびりびりと震える。「チィッ。ガチもんの神獣が二体か。これほどの霊力を隠して石像に化けてやがるとは… レミッキ。今日のところは見逃しといてやる。後できっちり追い込みかけるから覚えとけよ」虎柄の服の鬼はそう吐き捨てると、煙のように姿を消した。「アロン、ユマ。もういいわよ。ありがとう。せっかく久しぶりにこの世に顕現(けんげん)したんだから、お散歩する?」シスター志良堂からアロン、ユマと呼ばれた二体の狼型の神獣は、喜んでいるかのようにグルルと鳴きながら体をシスターとレミッキに擦り付けた。「た、助かった…」安心して気が抜けた七海と凛太郎の二人は、魂が抜けたようにぺたん、とその場にへたり込んだ。「なんだか、今日一日で寿命が5年は削られた気がするわ… ちょっと、凛太郎君。そろそろ起きなさいよ。帰りのバスに間に合わなくなるわよ」「それが… ただでさえ長い距離を歩いたうえに、九ちゃんがあんな無茶な戦い方するもんですから、体が限界で… あのー、七海さんにおんぶしてもらうわけにはいかないですよね…?」「アンタねぇ、人をなんだと思って…」「心配いりませんよ。駅まで車でお送りします」 シスター志良堂が助け船を出す。「いいんですか?どうもすみません」「いえいえ。将来ウチの娘がお世話になるかも知れませんから。ね、レミッキ♡」「し、知らないわよ!」 レミッキは真っ赤になって腕組みし、そっぽを向いた。「お望みでしたら、東京までアロンとユマの背中に乗せてお送りすることもできますけど?」「「いえ、遠慮します」」 凛太郎と七海は、シンクロして掌《てのひら》を顔の前で振った。「あ、いっけなーい、忘れてた。車、車検に出してたんだった」今度も凛太郎と七海の二人は、完璧に揃ったタイミングで顔を見合わせ、同時に冷や汗を流した。♦ ♦ ♦「ぎゃあああひぃ~~~~~!!!」凛太郎と七海は二人、電信柱から電信柱へとものすごいスピードで飛びながら、奥秩父から東京に向かうアロン(阿形《あぎょう》の石像だったオスの神獣である)の背中で、振り落とされないように必死に抱き合っていた。(ケッ、大袈裟な。見
戦いのあと、レミッキが泣き出したのを見ていた七海と梅ケ谷が話している。「神に選ばれて守護《ガード》されるには、いくら偉人の生まれ変わりと言ってもそれ相応の対価が必要です。多くの場合は大病や事故に遭うなど、人生における大きな不運と引き換えに力を得ます。阿賀川さんも間接的に龍神に守られていることになりますが、思い当たる節があるのでは?」「まぁ、そうですね…」七海は少し顔を赤らめつつ、光の病気を何とかしようと奮闘しているときに自分も乳がんになって頭を悩ませていたことを思い出した。「|守護されし者《ガーデッド》の能力は、被《こうむ》った不運の大きさ、言い換えれば捧げた分の幸運の量に比例します。 狙ったところに100%銃弾を命中させる能力だなんて、相当上級の力のはずです。かなり辛い過去があったのでしょう」♦ ♦ ♦「レミッキ」周りから私を呼ぶ声がする。レミッキはフィンランド語で『勿忘草《わすれなぐさ》』という意味だ。なかなか気に入っているが、多分もともとの名前じゃない。…これは、現実か。それとも、夢を見ているのか。ああ、昔の記憶だ。思い出したくもない、昔の記憶…。私は複数の中年の男たちに囲まれている。男たちの荒い息遣い。私の体を玩《もてあそ》んでいるのだ。男たちの舌が、体中をナメクジのように這いまわっている。その舌はいつのまにか、蛇のように先端が二つに分かれたものになっている。「レミッキ」「レミッキ」……ふと見ると、男たちの顔も人間離れしたおぞましいものになっている。蛇のようなトカゲのような、ワニのような… そうだ。「人間と竜のハーフ」と言った表現が一番ピッタリくるか。「じゃあそろそろ…」その顔の一つが、爬虫類の目をギョロギョロさせながら言う。「…君を食べてもいいかな」♦ ♦ ♦「きゃーッ‼」レミッキはベッドから跳ね起きた。冷や汗で体中がびっしょり濡れている。「あらー、起きた?また悪い夢を見たのかしら。大丈夫?」「ママ…」いつの間にか、ちちぶ子ども未来園の中だった。レミッキから「ママ」と呼ばれた志良堂美洸《みひろ》シスターが話を続ける。「こちらのお客様が、レミちゃんをおんぶして運んで下さったのよー。来る途中にたまたま出会ってお話ししてたら、急に気を失ったんですって?」「え、ええ、そうなんです。ははは」いつの間にか九頭龍の
七海と梅ケ谷が見守る中、凛太郎は、上空から襲い来る無数の銃弾に次々と体を貫かれていく。体はひび割れ、ボロボロと崩れていく。ついに顔までが崩れ、粉々になった体から切り離された頭部が地面に落下する。「嘘… そんな、嘘よ…」九頭龍凛太郎の頭がスローモーションでゆっくりと地面に落ちていき、地面に到達して「パリン」と砕け散る、その一瞬前に、七海は凛太郎がニヤッと笑ったような気がした。…真っ暗な闇の中。ここは現世《うつしよ》と同時に存在すれども交わらない霊界か、はたまた九頭龍の精神世界か。紫色の目とたてがみをした巨大な龍が、暗闇の中で凛太郎と同じ声色で話す。「|五ツ陽《いつはる》。おるか?」「へーーい」…その瞬間。現実世界では、七海たちがいる現実世界では、たった今崩れて首が落ちたはずの凛太郎が、いつの間にか無傷でうずくまっている。ただ、その髪の毛は凛太郎の時の焦げ茶色でも、九頭龍の時の濃い紫色でもない。ダークブロンドというのか、アッシュゴールドと言えばいいのか、独特の風合いをした暗めの金髪である。「ま、ここはオレの出番っスよねー」アッシュゴールドの髪の凛太郎がつぶやく。普段の凛太郎とも、いつもの九頭龍凛太郎とも違う、垂れ目でどことなくアンニュイな表情をしている。(フン、いつもいつも眠そうな顔しおって)虚空から、普段の九頭龍の声が聞こえた、気がした。「|五ツ陽《イツハル》さんですか。私も見るのは久しぶりですね」「久しぶりですね、って言われたって…」『五ツ陽』と呼ばれた暗い金色の髪をした凛太郎は、いつもの老人のような口調とは違うしゃべり方でレミッキに話しかけた。「おーい、そこの外人の嬢ちゃん。早いとこ降参しなよ。俺が出てきたから、君に勝ち目はねーっスよ」「何を馬鹿な…」レミッキは内心、驚いていた。先ほど自分のサブマシンガンから放たれた銀の弾丸の嵐により、ボロボロに崩壊したと思ったターゲットが、髪の色を変えて何事もなかったかのように甦《よみがえ》ってきたのだから当然である。が、何とか平静を装いながらガチャッという音を立てて弾倉《マガジン》を新しいものに交換した。「何度でも葬《ほうむ》るだけよ」ドガガガガガガガガ再びの轟音とともに、今度は曲げた右腕で銃身を掲げ、レミッキは銃弾を上空に発射する。その弾たちは、またも空高くから一斉に、バラバラの軌道を
「志良堂《しらどう》レミッキ。日本での歌手としての活動名は、レミですね」「うぎゃー‼」当然一人で茂みに隠れているものと思い込んでいた突然横から梅ケ谷知《さとる》に声を掛けられ、思わず叫び声を上げてしまった。よく見ると、梅ケ谷は両手に木の枝の模型を持っている。茂みの一部に紛れているつもりらしい。(擬態…? この人こんなキャラだったのかしら)「Lemmikki(レミッキ、またはレンミッキ)という名前からおそらくフィンランド生まれ。戸籍上は、キリスト教系の孤児院、ちちぶ子ども未来園の園長・志良堂|美洸《みひろ》の養子ということになっています。高校卒業後、18歳で上京。ネットを中心に歌手活動を開始、今に至るわけですが、まさか裏社会で『死神』と呼ばれるスナイパーの正体が彼女だったとは…」「あ、あの~ 梅ケ谷さん、どうしてここに?秘書業務は大丈夫なので…?」「ご心配なく。今日の分の仕事はとっくに終わらせてありますので。あの龍は放っておくと何をしでかすか分かりませんから、心配で付いてきました」「はあ…」「そんなことより、始まりますよ。九頭龍の久しぶりの戦いが」「…」そう言う梅ケ谷の表情から読み取れたわけでも、声の調子からそう感じられたわけでもない。だが、七海には何となく感じるところがあった。(なんだか嬉しそうね、梅ケ谷さん)♦さて、七海と梅ケ谷の視線の先で。「…もう、遠慮なくいくわよ」レミッキはスナイパーライフルを構え直した。「おう、レミとか言うたの。いざ尋常に…」パァン!九頭龍凛太郎が言い終わる前に、レミッキは銃弾を放つ。 が、それはトカゲのような鱗で覆われ鋭い爪のある形へと一瞬のうちに変貌した、凛太郎の手によって難なくキャッチされてしまった。江島めぐみ狙撃(二撃目)の時と全く同じである。「まーったく、せっかく武士道をわきまえた女子《おなご》じゃと思うとったのに。南蛮にも騎士道精神というのがあるんじゃろが…」言いながら、九頭龍は掴《つか》んだ銃弾をポイッと投げ捨てた。「儂には銃なんぞ効かんぞ。諦《あきら》めて降参せい」「やっぱり、そうよね… こちらも時間があったからね。対策させてもらったわ」ちょうど弾を撃ち終わったレミッキは、ジャキンという音を立てて弾倉《マガジン》を交換すると、ガチャリとハンドルを引いてから再び戻した。パァ
『ちちぶ子ども未来園』は、埼玉県の秩父地方の山間部にあるキリスト教系の孤児院である。シスターの|志良堂美洸《しらどうみひろ》が、たくさんの子供たちと食卓を囲んで、食前のお祈りをしている。「おお、神よ。私たちをいつも見守り、導いて下さることに感謝します。この食事が神のための善を行う力となりますように。アーメン…」|美洸《みひろ》シスターは祈りの言葉を言い終わると、少し間をおいて「パンッ!」と乾いた音を立てて勢いよく合掌をした。「はーい、堅いお祈りは終わり。今日は裏の山でとれたイノシシの焼肉と猪汁《ししじる》よ。みんな、たくさん食べてねー♡」「やったー!!」年齢も性別も違う孤児たちが、一斉に猛烈な勢いで目の前に盛られた食事に飛びつく。キリスト教系の施設には“|清貧《せいひん》”といって、必要以上に贅沢を望まない考え方がある。だがこの『ちちぶ子ども未来園』は、「他の家庭を|羨《うらや》むことがないように」という美洸シスターの思いで、毎回栄養のバランスを考えつつ最大限豪華に、というのが食事の基本方針となっていた。「焦らなくても、お代わりは沢山ありますからねー。それはそうと…美洸シスターは、ふと窓の外に目をやる。「今日はもしかしたら、嬉しい再会があるかも知れない予感がするのよねー♡」♦ ♦ ♦ 光の入院している新宿総合病院を出た九頭龍凛太郎と七海の二人は、13時過ぎに新宿駅発のバスに乗り、2時間以上揺られて秩父にやってきた。見渡す限り山、山、山で、緑が目に|沁《し》みる。普段吸い慣れている新宿の空気とは別物のように美味しい空気だが、それを有難いと感じる体力の余裕が、七海には無くなってきていた。|顎《あご》が上がり、額には大粒の汗がにじんでいる。「ハァー… まったく、どんだけ歩くのよ。降りたところ、ホントに最寄りのバス停?」「いっつもパソコンと睨めっこばかりしておるから体が弱るんじゃ。昔の日本人なら新宿からここまで|徒歩《かち》で来ておるわい」一方の凛太郎は汗一つかいていない。今日は朝から九頭龍の人格だからなのだろうが…「あなた、そのペースだと明日凛太郎君に戻った時に筋肉痛で泣くわよ」「フン、知ったことか」そうこうしているうちに、やっと秩父の奥地にある目的の施設の建物が見えてきた。質素な門には、長年雨風に|晒《さら》されたであろう「ちちぶ子ども
某日13時、東京都庁。白いコートに身を包んだ人物が、警護役であろう屈強そうな職員のエスコートを受けて、都庁最深部の知事執務室に通される。フードを|目深《まぶか》に被った顔は、依然としてよく見えない。「時間ピッタリですね… 都庁へようこそ。直接お会いするのは初めてですね」猛追する江島めぐみ候補を振り切り二期目への当選を果たした|尾池百合絵《おいけゆりえ》都知事が、執務室最奥のデスクから形ばかりの歓迎の挨拶をする。「死神さん、とお呼びすればいいのかしら?」書類仕事をつづけながら、目も来訪者の方を向けようとしない。「…」白コートの来訪者は無言のままである。尾池は続ける。「《《先生》》とケイトさんから、成功率100%の腕前だって聞いていたので、安心してお任せしたのですけど。私の聞き間違いだったのかしら」「…」「新宿駅の演説の後でも、いくらでも仕留めるチャンスはあったはずでしょ?あの女が世界の調和にとって邪魔になることは分かっているはず… 組織票で勝てたからよかったものの、とっても肝が冷えましたわ」「…」「だんまりですか。あまりおしゃべりはお好きでないようね。いいわ。どのみち約束は成功報酬のはずです。お支払いするお金はありませんので。お引き取り下さい」『死神』と呼ばれた白コートの人物は、ついに一言も発しないまま執務室を後にした。(ケイトのやつ…)成功報酬だという話は、今日初めて聞いた。♦ ♦ ♦同じ日の正午。「…と、いうわけで、今回は心臓の病気と闘う、同じ孤児院の後輩・|光《ひかる》君との、2回目の動画でした~。またね!…はい、カット!ありがと、光君!」新宿総合病院の|阿賀川光《あかがわひかる》の病室で、18歳くらいの白人の女の子が美しい金髪をなびかせながら、自分で構えたスマホカメラに向かって手を振る。ネットで人気上昇中の歌い手・レミが、光への2回目の見舞いに訪れていたのだ。病室で動画撮影とは怪しからん、との声もあろうが、担当医の|乗本《のりもと》が理解があり、「拡張型心筋症と闘う子どもたちの情報拡散になりますし、光君の気晴らしにもなるでしょうから」とのことで、短時間の動画撮影はOKが出ている。それにしても、光とレミは随分と仲良く話すようになった。恐るべきは光の人たらしの力である。「こっちこそありがとう。えへへ、なんか夢みたいだなー
ギャラクティカ本社での凛太郎たちと梅ケ谷の商談からまもなく、各種新聞やネットは、「与党、国家公認の電子決済アプリをスタート」のニュースで持ち切りとなった。「政府による電子決済、是か非か」といった類の討論番組が地上波でもネット番組でも盛んに組まれ、そのほぼすべてに与党公認の旗振り役として江島めぐみが出演した。彼女は東京都知事選には結局僅差で現職の尾池百合絵に敗れ、参議院議員の肩書まで失ってしまったが、落胆するそぶりどころか選挙疲れの色もまったく見せることはなかった。江島めぐみが番組内でのカリスマ性あふれるプレゼンをぶちかます度に、番組のパネラー、観客、視聴者たちは、心を奪われていった。「政界のアイドル」の面目躍如である。見る人が見れば、画面に映るめぐみの背後に、天女のごときオーラを感じたことだろう。「沈みゆく日本経済が、昇り龍のように復活していくようにとの願いをこめて、“りゅーペイ”と名付けました。 仕組みは先行する電子決済サービスであるPpay(ピーペイ)と同じです。法的には『前払い式支払い手段』と呼ばれるもので、日本円でチャージして1円を1ポイントとして使えます… これを毎月、アプリをダウンロードしてくださった国民全員に10万ポイント、つまり10万円分給付いたします。ベーシックインカムのようなものだと思ってください。 …ただし、過度なインフレを防ぐ意味でもこの10万ポイントは有効期限が設けてあり、3か月で失効します。3か月で30万円を使い切ってください…」 ――以下が、その後の新聞や各ネットニュースの見出しの一例である。『政府の公式電子決済 “りゅーペイ” 、全国で流通開始か』『野党は「経済の混乱招く」と反対を継続か』『アプリDL者全員に10万円給付、謎の財源と増税の恐れ』……♦ ♦ ♦ 凛太郎が居候している七海のマンション。リビングでは九頭龍凛太郎がテレビを見るともなしに眺めながらくつろいでいる。凛太郎は、ギャラクティカでの業務終了後、気が付くと九頭龍にチェンジしていることが多い。会社の仕事中は基本的に凛太郎の人格だが、凛太郎が見聞きした内容は九頭龍にも共有されるシステムになっているようだ。逆に九頭龍の|人格《龍格?》が出てきているときはどうかと言うと、最初は凛太郎本人いわく「眠っている感覚」で、その間のことは覚えていなかったそうだ。最
「その少年は、私どもが責任をもって病院までエスコートいたします。我々のお車へどうぞ。完全防弾仕様です」一行は選挙カーではなく公用車に乗り変えた。梅ケ谷が運転し、助手席には江島めぐみ。後部座席には七海、凛太郎と、凛太郎の右手が胸部に刺さったままの光が乗っている。「改めまして、隣におります江島めぐみの公設秘書をしております梅ケ谷と申します。この度はお礼と、それからお詫びのしようもありません」「そんなに畏まるな。儂とおぬしの仲ではないか」九頭龍凛太郎が言うが、その右手は光の胸につき刺さったまま、光の心臓を直接つかんで絶えずマッサージしている。「ちょっと、知り合いだったの?」七海が慌て尋ねる。「腐れ縁というやつでな。そちらの江島センセとやらとは、はじめましてじゃの」「はい、その… なんとお礼をしたらいいか」助手席にいるめぐみが、わざわざ後部座席の凛太郎たちの方を向いて、ペコリと頭を下げる。「おい、光。聞いたか?お礼に何でも一つ望みをかなえてくれるそうじゃ」「ホント…?」「そこまでは言ってないでしょーが…」七海がツッコむ。「それじゃあ、命を助けた儂へのお礼で一つ、流れ弾を食らって死にかけたこの|童《わっぱ》への詫びでもう一つ、願いをきいてもらおうかの」「我々にできることなら、何なりと」(この様子だと、この阿賀川七海という女性は、《《九頭龍》》と知り合いのようだ)運転をしながら梅ケ谷が答える。「光、何がいい?やっぱり本かしら」七海が問いかける。「うーん、そうだなぁ… レミに会ってサインが欲しい」「レミって、あの病室に貼ってあるポスターの…よっぽどレミって歌手が好きなのね。そんなに曲がいいの?」「それもあるんだけど… レミは、僕とおんなじ施設の出身で、これから曲が売れたら施設に寄付していきたいんだって」「ほう。光は養子か」「あ、ゴメン。言ってなかったね」「まぁ、一つ目はこれで決まりじゃな。次は儂の番じゃ」九頭龍凛太郎は、少し間を置いて言った。「おぬしら二人、国の政治に深く関わっておるのじゃろ?…これからは儂が、この国の財布を握ろうと思うんじゃ」♦ ♦ ♦株式会社ギャラクティカ。 総務係兼受付嬢の|小畔《こあぜ》美樹子が、まじめに業務に取り組んでいるフリをしながら会社のPC画面でネットニュースをチェックしていると、「ル
パシイィイン!頭を低くしていた江島めぐみの横に突然瞬間移動のように現れた|優男《やさおとこ》は、空中で横向きになったまま、乾いた音を立ててライフルの弾丸を素手でキャッチした。素手と言ってもその手は人間のものではない。全体の形状こそ人間の手に近いが、爬虫類のような硬い|鱗《うろこ》に覆われ、先端には猛禽類のように大きく鋭い爪が付いている。(龍の手…?)江島めぐみは今目の前に突如現れた優男の、特徴的な右手を見て思った。「ひとつ貸しじゃなあ!|女子《おなご》先生よ」優男もとい凛太郎は、見た目と相反する老人のような口調で言うと、弾丸の勢いを殺そうとするかのように回転しながら一瞬めぐみの方を向いた。よく見ると瞳も爬虫類のように、縦長の瞳に緑色の虹彩をしており、口元からは牙がのぞいている。「さて、返品じゃ」優男は、銃弾を受け止めた勢いで腕が後方に持っていかれた反動を利用して、腕と体をグルンと回転させると、そのまますさまじい速度でその銃弾を、撃ったスナイパーの方向へ投げ返した(野球の内野手守備の、異次元レベルの動きだと思っていただきたい)。人間の力では決して不可能な速度で投げ返された銃弾は、ビシッ!という鈍い音をたてて、スナイパーのいる数百メートル離れた屋上の壁にめり込み、大きなヒビを入れた。「ありゃ、外したかの」九頭龍となった凛太郎は|掌《てのひら》を目の上にかざして言った。一方、ビルの上のスナイパーは思わずヘタンと尻もちをついてしまった。(ターゲットBか… 化け物め‼)スナイパーはできうる限りの早さでライフルをケースにしまうと、屋上から逃げていった。と、その光景をまた上空から大ガラスが見ている。「先生!おそらくもう大丈夫です。車の中に!」「う、うん…」選挙カー上にうずくまっていた江島めぐみの体を助け起こし、まだ人心地の付かない江島候補を車の中に押し込んだ梅ケ谷は転がっていた防弾ブリーフケースを拾うと、|安堵《あんど》のため息をついた。「…ふう。さすが三田村装備開発の最高級防弾仕様。ドイツ製と迷いましたが、こういうのは国産の特注品が断然安心ですね」だが、まだ安心するには早かった。「|知《さとる》君!大変…‼」たった今、命を救われたばかりの江島めぐみが、慌てた様子でカーウィンドウを下げて顔を覗かせると、金切り声をあげた。「?」梅ケ谷が不思